凝縮された仏教のエッセンス
「智慧の扉」は、機関誌パティパダーの巻頭に毎号掲載されている、スマナサーラ長老による読み切りのコラムです。見開き2ページの短い文章の中に、お釈迦さまの教えがギュッと詰め込まれています。短い時間で読めますので、ちょっとした待ち時間などにも触れてみてください。くり返し読むことで、きっとまた新しい発見があると思います。
新着記事
- 2022年2月号(183)
- 2024年11月13日
他人をジャッジしない修行
人間はいつでも「我は完璧だ」という態度で生きています。パートナーや子供がわがままだから私は毎日つらいのだ、職場の人々が親切ではないから私は不幸なのだ、という具合に、「悪 […]
- 2022年1月号(182)
- 2024年11月13日
すべての問題を解く鍵
人生にはいろいろな問題が起こります。しかし、どんな問題にも乗り越える方法があるのだと仏教は言います。なぜならば、いかなる問題も原因があって現れたものだからです。その原因 […]
- 2021年12月号(181)
- 2024年6月21日
人に教えるにはウペッカー(捨)が必要です
他人を自分の希望どおりに直すことはできません。世界は個人個人で成り立っているのです。人間関係とは、人の個性を侵害せず、平和と調和を保つことです。子育てという仕事を分析す […]
智慧の扉インデックス
2010年4月号
本当に汚いもの
思考は臭いものです。この世界で「汚物」というべきなのは、物質ではなく、思考です。世の中の物質が、汚物だと思ったら困りますよ。物質はリサイクルしたりして、何でも何度でも役に […]
2010年5月号
心の雨漏りの対処法
感情は勝手に生まれて、雨漏りするように自分の心に漏れ出します。油断していると、我々の心は欲・怒り・怠けといった汚れた感情で水浸しになってしまいます。 そんな時、我々がすべ […]
2010年6月号
心は繰り返しで成長する
心の成長に欠かせないもの、それは「繰り返し」です。一回だけ何かすればモノになる、ということはない。人生はすべて訓練の結果です。人間が関わるものはすべて、個人も社会も政府も […]
2010年7月号
不安を「気にする」暇はない
不安は大海の水のようなものです。決してなくなりません。不安を溜めこむと、パニックに陥ったり、精神病に罹ったりする場合があります。ですから、いまの不安に対してどうするかと、 […]
2010年8月号
幸福の暗証番号
業(カルマ)について、理解しようと思わないで下さい。「行為には結果がある。だから、悪いことは止めよう」くらいでいいのです。私は僧侶なので、業のことをかなり勉強していますが […]
2010年9月号
「私がいる」という問題
人間が抱える精神的な問題の原因は「私がいる」という一言に集約されます。「私」という感覚、実感のない人がいるでしょうか? 自分自身に対して「これは私じゃなくて違うものだよ」 […]
2010年10月号
「私」を捨てる道
様々な道徳や宗教で、怒ってはいけない、嫉妬してはいけない、欲張ってはいけない、と言っています。でも怒りたくなる気持ちはどうすればなくなるか、嫉妬しない為にどうすればいいか […]
2010年11月号
仏教と神々
どんな国でも文化でも、人々は神々を信じているものです。神々は有り難い存在で、私たちを守ってくれるものだ、何かあったら聖霊に、神に頼めばいいと思っています。神を信仰して、 […]
2010年12月号
悲しみと救いは裏表
脳の機能が低下した認知症の老人や、重い脳障害を負った子供とどう接すべきかと相談されたことがあります。私の主観で言えば、脳が機能しなくなることは、人間にとっては一番悲しい […]
2011年1月号
仏教のものの見方
世の中に意見が二つあった場合、ベターな方が通るとは限りません。凶暴な方が通るのです。科学者は夢でインスピレーションを得ても、証拠なしにアイデアを科学雑誌に出すことはできま […]
2011年2月号
冥想を始める前の自己チェック3項目
ヴィパッサナー冥想を始める前にしてほしい自己チェック があります。 一、人の話を聞いて理解する能力があるか ?二、正直で、素直な人間か、人に自分を良く見せようとしていない […]
2011年3月号
何のために学ぶのか?
お釈迦様は「一切の生命は食(滋養)によって維持されている」と説かれました。この言葉を中心にして、学ぶことについて説明します。 よくよく観察すると、箸の持ち方から宇宙船の作 […]
2011年4月号
冥想に「期待」は禁物
冥想とは、自分のいまの状況を破って前に進むことです。決して、妄想に浸ることではありません。冥想では、妄想の放し飼いは禁止です。実況中継という鎖で、つねに自分を縛り付けてく […]
2011年5月号
逆境を乗り越える「こころの明るさ」
いま日本は大変な時です。毎日、いろいろな暗いニュースを聞くと、こころが沈みがちになってしまいます。苦しんでいる人々を見ると、誰でも、居ても立ってもいられなくなるのです。な […]
2011年6月号
なぜ「ありのままに観る」のが難しいのか?
ヴィパッサナー冥想を実践して「ありのままに観る」ことは、人間にとって究極的に難しい事になっています。本当は信じられないほどシンプルな仕事のはずなのに、それがなかなかできな […]
2011年7月号
「自ら確かめられる」真理
釈尊はすべて自ら確かめた上で真理を説かれました。そして釈尊の説かれた真理は、私たちも「自ら確かめられる」真理なのです。例えば「無常」は、確かめられる真理です。私たちが何を […]
2011年8月号
誰も「無縁」ではいられない
昨年に放映された同名テレビ番組をきっかけに「無縁社会」が話題になりました。社会との関わりを失って、孤独の中で亡くなる人々が増えていることに警鐘が鳴らされたのです。しかし生 […]
2011年9月号
努力と不安の不思議な関係
「精進・努力」すること、そして、「理性的な恐怖・不安」を感じること。その二つを備えた人が覚りに達するとブッダは説かれました。「理性的な恐怖・不安」を無くした結果、起きたの […]
2011年10月号
何にがんばればいいのか?
東日本大震災以来、日本の街角には「がんばれ」「がんばろう」という標語が溢れています。人はがんばらなければ何も得られないのは当然です。目的に進むためには、自分の能力をあげて […]
2011年11月号
どこまで努力すればいいのか
私たちが生きていく上では、どんな誘惑があるか分りません。調子に乗らずに努力する人には覚りに達する資格があるのです。精神的な成長を目指す人は、「みんなやってるでしょ」という […]