施本文庫

怒りの無条件降伏

中部経典「ノコギリのたとえ」を読む 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

自ら出家した責任

では、はじめましょう。これから取り上げる『ノコギリのたとえ』は、中部経典(マッジマ・ニカーヤ)の二十一番目にあたるお経です。長部経典(ディーガ・ニカーヤ)の経典にも哲学的な内容はありますが、ほとんどは仏教の一般的な教えがテーマです。それに対して中部経典は、哲学的なポイントを、きめ細かく、項目を厳密に、論理的に説いたお経が集められているのが特徴です。
今回勉強する『ノコギリのたとえ』という経典では、「慈しみの心」について、丹念に、誰もが理解できるように説明されています。慈悲心とはいったいどういうものなのか、また、仏教において慈悲がどれだけ大事であるか、大切であるかが、いろいろなたとえを用いて、明確に、きめ細かく、論理的に説き示されているのです。
それでは、本文に入ります。

「仲良くすること」はいいことなのか?

――このように、私は聞きました

あるとき、世尊は、サーヴァッティー市(舎衛城)のジェータ林にある、アナータピンディカ居士の僧院に住んでおられた。

また、まさにそのころ、比丘モーリヤパッグナは、比丘尼たちと一緒に過度に(ativelaṃ)仲良くして(必要以上に関わりをもって)いた。比丘モーリヤパッグナが比丘尼たちと一緒に仲良くして(必要以上に関わりをもって)いたとはこのようなことである。
もし、比丘の誰かが、比丘モーリヤパッグナの目の前で、その比丘尼たちの批判を口にしようものなら、そのことで、比丘モーリヤパッグナは怒り、機嫌を悪くし、言い争い(adhikarana)さえもした。
また、もし、比丘の誰かが、その比丘尼たちの目の前で、比丘モーリヤパッグナの批判を口にしようものなら、そのことで、その比丘尼たちは怒り、機嫌を悪くし、言い争いさえもした。

このように、比丘モーリヤパッグナは、比丘尼たちと一緒に仲良くして(必要以上に関わりをもって)いた。

《このように、私は聞きました》――お経の書き出しの決まり文句です。《あるとき、世尊は、舎衛城に住んでおられた》――お経のはじめに、その時お釈迦さまがどこにおられたのかをきちんと示しておくのが決まりです。舎衛城のジェータ林にある、アナータピンディカという居士のお寺(祇園精舎)に住んでおられた時のお話というわけです。

ちょうどその頃、モーリヤパッグナという名前の長老が近くに住んでいて《比丘尼たちと一緒に過度に仲良くして(必要以上に関わりをもって)いた》というのです。この《過度に》はパーリ語の《ativelaṃ》の和訳です。《ativelaṃ》の《velā》は「時間」という意味ですが、「リミット」という意味もあります。
註釈書には「(モーリヤパッグナ長老は)比丘尼たちを指導するために比丘尼たちのところへ行っていた」と書いてあります。

指導というのは戒律の行事の指導です。月に二回、布薩(ふさつ)という戒律の儀式が行なわれます。比丘と比丘尼は別々に集まり、比丘の一人が比丘尼の集まりにお経をあげに行くのです。正式には、「これからあなた方は布薩の行事を行ないますよ」という意味の言葉を言うだけで戻って来ることになっています。註釈書に、「ativelaṃはリミットを超えたという意味で、(モーリヤパッグナ長老は)布薩の行事で読み上げる戒律のセットを全部読んでいた」と書いてあります。全部読むと一時間くらいかかります。モーリヤパッグナ長老は、ちょっとよけいな長時間、比丘尼たちのところにいたわけです。

この経典には、それだけではなく、誰かが比丘尼たちを批判すると《怒り、機嫌を悪くし、言い争いさえもした》と書いてあります。比丘尼たちが批判されただけで《言い争い》までしたというのですから、かなり《仲良くして(必要以上に関わりをもって)いた》ようですね。《言い争い》は《adhikarana》の訳です。《adhikarana》の意味は「裁判」です。お釈迦さまの時代にはサンガの中にちゃんと問題を裁く場があり、比丘たちの訴えを取り扱っていたのです。戒律の専門家がその仕事をしていました。そこに訴えたというわけです。これは、相当に仲が良かったということですね。

もしかするとこういうことかもしれません。当時のインドには女性差別がありました。女性が出家することに皆が賛成だというわけではなかったのです。女性の出家者が男性の比丘たちと平等にお釈迦さまの教えを受けるということに対する批判は多かったのです。モーリヤパッグナ長老は比丘尼たちの味方をして、「なぜ女だと悪いんですか」という感じで比丘尼たちを擁護していた可能性が大いにあります。

女性が出家するといろいろな問題が起こるだろうということは目に見えていましたし、悟るために出家した修行者たちがそんなことに手を焼くことになったらかなりの時間のロスになり、大変な迷惑です。お釈迦さまも、できればやめてほしい、という気持ちはありました。
けれども最初に出家した女性は釈尊の育ての母(実母の妹 マハーパジャーパティー・ゴータミー)でしたし、母親は息子の言うことは聞かないのです。お母さんが「私は出家します」と言って家を出てしまったので、お釈迦さまも、「いいですよ」と認められたのです。けれどもその瞬間からいろいろなトラブルが起こるということは、お釈迦さまもちゃんと知っていました。
やはり当時は、女性の出家者に対する風当たりは相当きつかったことでしょう。

そこでこのモーリヤパッグナ長老は、比丘尼たちの味方になっていた可能性があります。お釈迦さまは、モーリヤパッグナ長老の態度について、徹底的に非難したり叱ったりはしておられません。ということは、モーリヤパッグナ長老は、それほど問題になるような行動をしていたわけではなかったのでしょう。ただ、弱い立場の比丘尼たちの味方になって、誰かが悪口を言うと怒ったり怒鳴ったりしていたということだと思います。

しかし、「ただ味方になっていただけだ」といっても、「誰かの味方になる」ということは、よけいな関係が成り立ってしまうということでしょう。感情的な関係を、仏教では、危険なことだとみなします。味方を作ったりすると、仲間意識が出てきて感情的になってしまいます。
サンガでは「感情的」ということは、一切禁止なのです。比丘たちは互いに兄弟みたいにつきあうのですが、それは慈しみであって、誰かと感情的な関係になってはダメなのです。それが仏教の立場です。「この人は、あなたたちと違って私の仲間だ」という態度、これは一切禁止です。どの比丘に対しても慈しみで、平等に接しなくてはいけないのです。

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怒りの無条件降伏
中部経典「ノコギリのたとえ」を読む 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2004年6月