こころのセキュリティ
爆発寸前のあなたを幸せに導く「日夜の指針」
アルボムッレ・スマナサーラ長老
爆薬を抱え、あなたのこころは危機一髪
現在、世の中でもっとも怖い兵器といえば核兵器でしょうね。原子爆弾はとてつもなく危険な殺人兵器ですが、原子爆弾そのものはそこにあるからといって、べつに怖いものではありません。だれかがそれをミサイルに載せて発射したり、爆撃機で投下するなりしたときはじめて、想像を絶するような災難が起こるのです。さらに、その災難は子供から孫の代にいたるまで、何年も何十年もつづけて人びとを苦しめるのです。
育てていないこころは、その原子爆弾と同じように危険なものとなります。私たちのこころにある欲、怒り、そして無知も、爆発したら想像を絶するほどの危険な状態を引き起こすのです。自分はもちろん、家族、友人、他人にまでも多大な迷惑をかけることになります。「こころと原子爆弾が同じ危険物だなんて大げさな」と言う人もいるでしょう。しかし、これはけっしてオーバーな表現でも言い過ぎでもありません。
こころがおかしくなったら、それを治さないかぎり、一生その人は苦しみます。罪を犯したら、その人は死後も苦しむことになってしまいます。その苦しみは、原子爆弾でも比較にならないほど長いあいだつづくのです。
自分の悪いこころの働きで他人に迷惑や影響を与えたら、その相手の人びとのこころも、怒り、憎しみ、恨みなどで燃えてしまうのです。そのうえ、その人たちのさらに相手になっただれかのこころも、迷惑をかけたり罪を犯したりする可能性が大きいのです。そうなると、数えきれないほどたくさんの人びとに影響しあって、その悪いこころはもう無限大に広がっていくのです。悪いこころの「連鎖反応」は、このように原子爆弾の比などではなくなってしまうのです。生命を苦しませる期間も、気が遠くなるほど長いのです。
もし、こころのほんとうの怖さを知っている人がいたら、原子爆弾などおもちゃのように思えるのではないでしょうか。
ちょっと視点を変えて見てみましょう。いま原子爆弾を例に出しましたが、この恐ろしい原子爆弾を生み出したのはいったいだれでしょう?
現在、この世に原子爆弾はいったいどれぐらい貯蔵されているのでしょうか?
原子爆弾をはじめ、さまざまな破壊兵器が全部爆発したとしたら、地球はどうなってしまうのでしょうか? 地球の財産はどれぐらい、人間を殺す道具を開発するために使われてきたのでしょう?
そのうえ、生物兵器とか化学兵器という恐ろしいものまであるのです。いったい、こういう危険なものはなぜ生まれたのでしょう?
すべては、この地球の人間がつくり出したものです。人間の欲、怒り、憎しみ、恨みなどで蝕まれたこころの作用です。こころが考え出さないかぎり、こういう兵器も生み出すことはできません。自国の利益を守らなければならない、敵を倒さなくてはならないという欲と怒り。自国を敵から守らなければならない、もし攻撃でもされたら心配だという脅えと不安などで征服されてしまって誤ったこころの仕業が、これらの危険物を生み出したのです。
ということは、原子爆弾やその他の兵器そのものより、ほんとうは人間のこころのほうがずっと悪いのです。これは、とても危険なことではないでしょうか。危険なこころをもった人が拳銃をつくる。危険なこころをもったもう一人の人が、その拳銃を使う。人類がこの世に現われてからいままで、この地球で戦争のなかった時代はほんの少しの期間もなかったのです。
だれか(A)が平和に生きて、豊かで、だれにも迷惑をかけずに幸せに生きていても、外からくるだれか(B)に嫉妬されたり欲望のために攻撃されたりしてしまうのです。自分は平和主義だから安全だなんて、とても言ってはいられません。戦争好きな人だって、あっという間に殺されてしまうのです。
自然災害を除いて、われわれにやってくるすべての苦しみは、人間一人ひとりのこころがつくるのです。一人の人間がこころに怒りをもつだけで、どんなに危険なことか。こころを育てることをしない人が、どんどん増えていくことで、どんな危機的な状況を生み出すことになるのか。
しかも、こころの厄介なところは、一見なんともないように見えるこころでも、突然発病することがあるということです。ある男が、なんの関係もない通りがかりの小学校に突然侵入し、八人もの児童を殺害した事件がありました。その後公判が開かれてまたニュースになりましたが、哺乳動物である人間には本来、子供は殺せないはずなのです。それでも、そういう悲惨な事件が起きる。かと思うと、こんどは中学生が子供を殺してしまったり、母親が自分の子供を殺すというようなニュース(事件)もありました。こういうのは、こころの突然の発病です。こころは放っておくと、とても危険なのです。発病すれば、悪いことしかやらないのです。自殺だって、こころの病んだ状態の果てに決断してしまうのです。
こころがもっと怖いのは、ふつうに誠実に、まじめに生活している人でも、気がつかないうちに発病してしまうという可能性があることです。権力、財産、地位などの欲でこころが発病すると、賄賂や不正、脅迫、捏造などの行為につながります。そのほか、やたらと暴力をふるったり、レイプやストーカーなどの不埒な行動や、強盗する、通り魔になるなど、どう考えても私たちは自分のこころでさえ信用できなくなっていきます。「こころは信用するものではない」それがいちばん正しい結論なのです。
皆さんの家の近所で、もし戦争中に落とされた不発弾が見つかったら、役所や自衛隊からたくさんの人たちが駆けつけてきて、あらゆる安全対策のなかで処理するでしょう。ところが、この世のすべての存在のなかでもっとも危険だというこころを守ることは、だれもしようとしないのです。こころの危険因子を取り除こうとは、なぜかしません。幸福を育てるための種を自分のこころに蒔こうなどと、だれもしないのです。自分の最大の敵は育てようとしないまま放ってあるこころだ、とお釈迦さまもはっきりと指摘されているのに、理解しようともしないし、教えを守ろうともしないのは、なぜなのでしょう?
私たちは、毎日ごはんを食べます。そのごはんを食べることよりも、もっと大事なことがこころを育てることだと考えるべきです。どれほど知識があろうとも、どれほど権力があろうとも、あふれるような財産に恵まれても、オリンピックで世界記録を打ち立てても、こころが正しく機能していなければ、そういう栄光はすべて無意味です。
もし、世界の中心的人物で権力のあるリーダーたちのこころが突然、正常に機能しなくなったら、世界中の人間はたちまち危機に晒されるのです。
仏教の仕事は、超能力という欲をほしがる、こころの細菌を増やすことではありません。一時的なからだの健康をつくるために協力することでもありません。すべての人間が絶対的に必要な、こころを育てる方法を教えるところにあるのです。こころが突然発病しないように管理し、守る方法を教えることなのです。
この施本のデータ
- こころのセキュリティ
- 爆発寸前のあなたを幸せに導く「日夜の指針」
- 著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
- 初版発行日:2002年9月