施本文庫

お釈迦様のお見舞い

気づきと正知による覚りへの道  

アルボムッレ・スマナサーラ長老

◆冥想の手引 無常随観・不浄観――サマーディ冥想法とヴィパッサナー冥想法

無常随観(無常随念)というサマーディ冥想もあります。たとえば、何でも「無常だ、無常だ」と念じることは、サマーディ冥想になるのです。何でも「苦」だと念じることもサマーディ冥想です。それはヴィパッサナー冥想の無常観・苦観の発見の仕方とは違います。
また、身体を不浄であると念ずるサマーディ冥想もあって、それを不浄観、または不浄随念と言います。身体の不浄を観察するセクションは身随観の一部にもあって、それはヴィパッサナー冥想です。普通に身体の不浄を念ずることとは違います。

サマーディ冥想から修行を始める人は、ヴィパッサナー冥想に成長しなくてはいけないのです。ですから、お釈迦様の説かれたヴィパッサナー冥想の内容を、サマーディ冥想で前もって訓練して馴染んでもらいます。また、はじめにヴィパッサナー冥想に挑戦して、やりづらくなって進まない場合は、いったんヴィパッサナーを停止して、サマーディ冥想で真理を念じて、馴染んでもらうこともあるのです。そこで修行者はサマーディ冥想を別に練習する。それに合格したら、本格的なヴィパッサナー冥想に入ります。そうすると、また同じことをやることになるのですが、猛練習しているから、いとも簡単に合格してしまいます。仏教には、kammaṭṭhāna業処というサマーディ冥想が四十種類あって、そこには結構ヴィパッサナーで観察する対象も入っているのです。

サティの実践は四種類だと憶えておいてください。①身体(身)を観察する、②感覚(受)を観察する、③こころ(心)を観察する、④すべての現象(法)を普遍的に、無常である、苦である、というふうに観察する。それがサティ、気づきということです。

次にお釈迦様は、sampajāna正知の説明に入られます。

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この施本のデータ

お釈迦様のお見舞い
気づきと正知による覚りへの道  
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2008年5月