施本文庫

ブッダは真理を語る

テーラワーダ仏教の真理観とその変容 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

神秘は役に立たない

世の中にはいろいろな神秘があり、いろいろな信仰があります。それが本当のことかどうかというのは、結果で見なくてはいけません。世の中に実に多くの占い師たちがいて、それなりに正しくぴったり占ってくれるでしょう? だったら、宝くじの一等賞が当たる番号を聞いてみたいのですが、それだけはできませんね。

たとえば占い師は、若い女性に対して「あなたは結婚したいと思っていますね。すぐには無理だと思いますけど、二年ぐらい経ったらいい相手が見つかりますよ」などと言います。これは、いかにも占い師が言いそうなことです。しかし、それは本当に占いでしょうか。顔を見たらわかります。「この女の子は結婚したいと思っているけど、この調子では無理だ」と。たとえば、男性によく思われたいとやみくもなおしゃれをして、真っ赤な口紅を塗り、アクセサリーを身体中にぶら下げていたら、奥さんにする女性として見てもらうどころではありません。「もうちょっと落ち着け」とアドバイスしたくなります。
そこで占い師が「すぐには無理です」と言えば、「そうか、では無茶苦茶頑張ることはやめよう」となって、自然体でいられるようになる。すると、周りから「いい女性だな」と見られて結婚することになるのです。それは占いが当たったということにはなりません。

テーラワーダと大乗の類似点はある

もともとのお釈迦さまの仏教は、科学であって、何の神秘もありませんでした。しかし、人類が自分にない力、神秘の力をあまりにも欲しがるので、じわじわと神秘を取り入れる形になっていったのです。
仏教も人間のものですから、人間の心に神秘を求める考え方がどんどん染みついていくのに合わせて、いろいろな習慣・儀礼などが生まれます。ですから、表面的には、大乗仏教とテーラワーダ仏教はものすごく違いますが、丁寧に見るとけっこう似ているところはあるのです。

もともとは真理を尊重するテーラワーダ仏教ですが、迷信は堂々とあります。タイで山の中にいるお坊さんたちのところに、一般の商人たちがこぞって行って、お布施をしたりして、当たるくじの番号を聞くのです。バカなお坊さんたちも教えてあげるのです。やめたほうがいいと思いますが、続いています。

大乗から借りるテーラワーダ

テーラワーダでは、まずお釈迦さまの真理の言葉、つまり経典をご利益のある言葉として使いました。これで物足りなくなってくると、新しく経典のような護経を書きだしてしまいました。
そこに、さらに大乗仏教文化によって「修行より一般人にサービスしたほうがありがたいのではないか」という視点が加わり、けっこう新しいアイデアが出てきて仏教の形は変わっていきました。
インド人は、「子が授かるように祈ってください」「豊作を祈ってください」などという俗な祈禱を求めたので、それに合わせていろいろな教えを作らなければいけなくなって、密教に至っては呪文「陀羅尼(だらに)dhāraṇī(ダーラニー))」というものができ上がってしまったのです。

かつて、私はスリランカで護経テキストを学んだとき、付属してダーラニーがあって驚きました。「このダーラニーを唱えれば、熱が冷めます」「こういう病気がなくなります」「悪霊は出ていきます」などとあるのです。明確な密教からのパクリです。自分たちに、人々にアピールするじゅうぶんな真理がなくなると、大乗仏教からちょこちょこと借りたりするわけです。

このように、テーラワーダには大乗仏教から借りる習慣はけっこうあります。自分たちの経典でやってみて、足りないものは大乗仏教から借りて、もっと足りないものは自分たちで作った護経を使ったりして、どんどん変わっていくのです。

テーラワーダの真髄は解脱

要点を整理してみましょう。お釈迦さまは客観的にものごとを見る科学者よりも、はるかに優れた科学者でした。「生きる」という本題に対する真理を発見して、苦しみを乗り越えたのです。それは単なる科学的なやり方であって、神秘ではありません。不可思議な出来事も説かれてはいますが、お釈迦さまは神秘に反対なのです。
しかし時代が経つとともに、無智な一般人の要求に応じて仏教の世界の中でも、神秘的な考えが現れてきたのです。そうして仏教の世界は、仏教独特の呪文や祈禱などを発展させたのです(ヒンドゥー教の呪文や祈禱より優れたシステムを作りたかったのだろうと思います)。

神秘主義は、大乗仏教世界においてじりじりと発展しました。ブッダの教えは(けん)(ぎょう)であると明確に説かれてあったにもかかわらず、「密教」という宗派も現れたのです。今世で解脱に達する目的から遠ざかって、一般人に現世利益を願う宗教に変身したのです。

お釈迦さまの教えを忠実に守って、今世で解脱を目指して修行するという約束のテーラワーダ仏教も、神秘主義、御利益主義などの竜巻に揺れたのです。現世利益や祈禱などの習慣は、テーラワーダ仏教にも現れました。大乗仏教と比較すると、神秘主義に関しては、テーラワーダ仏教は後輩です。祝福、祈禱などの習慣は、大乗仏教から取り入れたのです。
しかし、お釈迦さまの真理の教えがそのまま残っているので、テーラワーダ仏教界で見られるご利益や祈禱系の習慣に、ブッダの教えをおさえて物置のようなところに閉じ込める力はありません。ご利益に依存している人々も、「ブッダの真の教えは煩悩を絶って、解脱に達することだ」と明確に知っているのです。

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ブッダは真理を語る
テーラワーダ仏教の真理観とその変容 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2015年