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ブッダは真理を語る

テーラワーダ仏教の真理観とその変容 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

ブッダは真理を語る ~テーラワーダ仏教の真理観とその変容~

「初期仏教における『真言』とは?」

高野山大学での講演サマリー

テーラワーダ仏教(上座仏教、初期仏教)の世界では、釈尊の言葉はすべて真理の言葉、「真言」であると信じています。それだけではなく「真理を語る言葉はすべて真言」とするのです。では何処まで真理なのか、という問題が起こります。どんなことでもありのままの姿を語っているものは真理と言わなければならないのです。

例えば、殺人事件の状況を調査してわかることも「真理」です。それによって事件が解決するという結果を出します。科学者も真理を探求しています。しかし科学的知見はいつでも発展途上であり未完成です。まだ究極的な真理は発見されていないのです。科学に基づいた現代医療の世界でも、今は特効薬と言われている薬が十年後には毒として禁止されるかもしれない。私たちは科学から多大な恩恵を受けつつも、実はかなり曖昧で中途半端な世界に生きているのです。
宗教の世界もいい加減です。世界中に「唯一の神」が多数いて、唯一の神とはどんな存在なのか、さっぱり決められない。それで宗教戦争まで起こる。いまだに誰も、神に関する究極的な真理に達していないのです。
しかし「地球は丸い」という事実については、誰も喧嘩しません。それは私達が「地球は丸い」という究極的な真理に達しているからです。人類は「地球は丸いのか、平(たいら)なのか」という問題から解放されているのです。

釈尊は「生きるとはどういうことか」という問題について究極的な真理を発見されたのです。その結果、生きることに関する一切の悩み苦しみから解放されたのです。輪廻から解脱したのです。
その真理(四聖諦)の第一は「生きることは苦」(苦聖諦)です。これは誰も認めたくない真理なのです。「生きるとは苦」という真理は、生きることは尊いと無根拠に信じ込んでいる、私たちの「洗脳」を否定するものです。誰も聞きたくはないのです。それでも仏陀の「真言」たる四聖諦(苦集滅道)には驚くような効き目があったので、多くの人々が仏陀の教えに耳を傾けました。
生きることは苦というありのままの真理を発見して、苦の原因(煩悩)を突き止めて、苦の原因を滅するという目的を定めて、八正道を実践する。四聖諦という真理によって生きればすぐに結果が出る、輪廻から解脱する。
「この私の言葉は神にも梵天にも誰にも逆転できない」と宣言された仏陀の真理は、多くの人々にとってこの上ない「真言」となったのです。

しかし私たちは、仏教を改良するつもりで教えを変えようとしました。はじめから完全な仏教に改良の余地はありません。それでも私達は、「生きるとは苦」という、ありのままの真理を認めたくなかったのです。そこで経典を創作するなどの方法で、仏陀の教えを改変したのです。

もう一つ問題がありました。ブッダの教えに力があるとされたことで、人間にある「神秘主義的な志向」が仏教にも影響をおよぼしたのです。神秘主義者たちは、この世界には人間の力とは別の未知の力があると考えます。そこでその未知の力、神秘の力にアクセスするために祈ったり祈祷したりするのです。「仏陀の言葉には大変な力がある」ということで、神秘主義と仏教が混ざってしまったのです。

テーラワーダ仏教の世界では、『宝経(ラタナ・スッタ)』が祝福経典として唱えられています。宝経の各フレーズは「この真理の言葉によって幸福でありますように」という言葉で終わっています。これは神秘主義ではなく、「真理の教えをはっきり理解する事で心に安らぎが生まれますように」という慈しみの言葉なのです。
それから『慈経(メッタ・スッタ)』も祝福経典になっています。内容は「慈悲の冥想」の実践方法を説いた経典なのです。

しかし二つの経典はテーラワーダ仏教文化のなかで、日本でいう真言(マントラ)のような使われ方をされています。人間の心には巨大な神秘主義志向があるので、日本の仏教だけでなく、テーラワーダ仏教にも迷信がはびこっています。テーラワーダ仏教文化では、仏陀の言葉を「真言」としたあとで、経典のスタイルに似た独特の祝福テキストを作るようになったのです。それで足りないと大乗仏教から借りて陀羅尼を唱えたりもしました。
そういうものが、古いスリランカの文献を調べると出てきます。ですから、表面的には違うものの、真言密教と似ているところも色々と発見できます。

仏陀は「生きるとはどういうことか?」という問題について究極的な真理を発見したのです。それが仏陀の真言です。この真言は効き目が抜群ですが、教えている内容(一切皆苦)は人々には受け入れ難い。そこで教えの改変(改悪)がなされました。
また、仏陀の真言が、一般人には神秘的に見えてしまうジレンマがあったのです。結果として仏教にも神秘主義が混ざって、仏教は衰退しました。真理が神秘にとって変わられて、教えに力がなくなってしまったのです。

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ブッダは真理を語る
テーラワーダ仏教の真理観とその変容 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2015年