施本文庫

ブッダは真理を語る

テーラワーダ仏教の真理観とその変容 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

土着信仰などとの融合

仏教の変遷には、もう一つ、「土着信仰との融合」という問題があります。中国や韓国もそうですが、たとえば日本に仏教が伝わったとき、すでに日本独特の習慣や、いろいろなものがありますから、それとの兼ね合いが出てきました。このようなとき、何一つ壊さず、取り入れてしまうのが仏教のやり方です。

たとえば私の国スリランカは、インドにすごく近いです。ヒンドゥー文化は、自国文化よりもはるかに巨大で歴史も古くて壊せませんから、「けんかするよりは取り入れたほうがいい」と考え、お寺の本堂にヒンドゥーの神像もきちんと置いてあります。好きな人は拝んでもいいし、好きではない人は無視してもいいのです。
なぜ、そうしたかというと、スリランカには仏教徒だけではなくて、けっこうヒンドゥー教徒もいますし、インドからもしょっちゅう人が来ます。そのときに、インドで見たことがない仏像ばかりですと、よくわからないでしょう。「まあ、とりあえずはヒンドゥーの神々も入れておけば平和で安心だ」と考えて導入しているのです。共存、併存です。

日本の仏教になると、竜神や風の神様などをはっきりと仏教の中に明確に位置づけて取り入れています。自分の国にあった土着的な信仰(indigenous culture:土着文化)は、多くの人々が長いあいだやっているものですから、「やめなさい」と言ったからといってやめるものでもありません。
ですから、あとから入った仏教が、それらをちょこっと取り入れることになるのです。

土着文化と仏教が融合した一つの例として、スリランカの「悪魔(ばら)い」という踊りがあります。これはスリランカに仏教が伝わる以前、もう紀元前いつからかわからないほど昔からやっていた習慣です。もしかすると五千年になるぐらい古いかもしれません。人が病気になったり、あまり商売がうまくいかなかったり、畑がうまくいかなかったりすると、とにかく「悪魔祓い」の踊りをするのです。いろいろな種類があり、ずっと踊り続けます。かなり歴史の長い踊りの文化ですから、よくできてもいます。ものすごく格好いい踊りです。

しかし、ここに仏教が入ってくると、仏教は「悪魔の仮面をかぶって踊っても、病気は治らない」と知っていますから、やめなくてはいけなくなります。そうはいっても皆、やめるわけではありません。
そこで、どうするかというと、悪魔踊りをやっているときの歌を仏教にするのです。何か仏教のアイデアを入れたり、ブッダに帰依をして、礼をして、「これから踊りますよ」という歌によってブッダのお許しをいただいてから「悪魔踊り」を踊るというように、土着信仰の中に入り込みます。入り込んで、乗っ取ってしまうのです。
真理を重んじる仏教からすれば、神秘的なものははじめから必要ないとは思いますが、文化的にそうもいかないので、神秘的なものを「乗っ取る」のです。

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ブッダは真理を語る
テーラワーダ仏教の真理観とその変容 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2015年