施本文庫

ブッダは真理を語る

テーラワーダ仏教の真理観とその変容 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

幸福のための三十二項目が祝福の経典に

お釈迦さまは、あるとき「人々にとって幸福とは何でしょうか?」と質問されて、「善い人々と付き合いなさい」「悪人・だらしない人間は避けなさい」「よく勉強しなさい」「何か仕事を持ちなさい」「親の面倒を見なさい」「悪行為をしないことにしなさい」などという、三十二のリストを語りました。
どうでしょう?今、挙げた六項目を見ただけでも、その通りでしょう?生まれてきた子が善い人間と仲良くしたなら、自動的に善い人間になってしまいます。だらしない仲間と一緒にいると、救いようもない、どうしようもない人間になってしまいます。

このように、お釈迦さまは現実的に「勉強しろよ」などと具体的におっしゃったのですが、今はこれらの言葉が祝福の経典になっています。
この経典をあげて、「Etena(エーテーナ) sacca(サッチャ) vajjena(ワッジェーナ)sacca(サッチャ) vajja(ワッジャ)=真理の言葉)hotu(ホートゥ) te(テー) jaya(ジャヤ) maṅgalaṃ(マンガラン).:この真理の力で、皆様に祝福があらんことを」と唱えます。

私も祝福するときはするのですが、時々「ただ聞いただけでは、どうにもなりませんよ。あなた、このお経の内容を学んでやってみてください」と言う場合もあります。

仏教は神秘でなく心の力

このように、テーラワーダでも、お釈迦さまがおっしゃった真理の教えはじわじわと「呪文」的に変わってしまいました。真理は、とても力のある言葉、効き目のある言葉です。一方、神秘的なことは本来の仏教は絶対に認めません。神秘的な力には、とことん反対です。

しかし、心にはすごい力があります。たとえば瞑想して心を統一すると、ものすごい力が付きます。誰かがずーっと瞑想して落ち着いているとき、混乱している誰かに会って「まあまあ、落ち着きなさいよ」と言って背中を叩いただけで、相手が落ち着いたりします。これは普通の人間から見れば神秘です。しかし、実際はただの心のエネルギーで、神秘でも何でもありません。心の力なのです。

仏教には、神通がいろいろあって、昔は天眼とか天耳などが確かにありました。あれは「心を育てれば、ものすごい力が発揮できる」ということです。

今も我々は、心の力があるから生きているのです。心の力があるから立っているのです。心の力があるからご飯を食べられます。心の力があるから、食べたご飯は消化されるのです。今も、心の力というのは最も大きいのです。この世界はどんな力で変わったのでしょうか? 人間の心でしょう。
ですから、心を汚染しないで清らかにすれば、ものすごい力を発揮します。

テーラワーダは、はじめはお釈迦さまの言葉、真理の世界でした。はっきりとした「地球は丸い」というような真理を発見して、人々をびっくりさせ、最終的には永久的に目の前で苦しみをなくしてみせたのです。
それから社会にあった神秘主義が入ってきて、今は現代的な神秘機能に陥っている部分もあります。その過程ではブッダの経典を唱えるものとして使ったり、大乗仏教の開発したものを借りたり、あるいは自分たちでも祝福経典やフレーズを作ったりしています。
ただし、ブッダの経典はそのままです。ブッダの経典を作ることだけはできません。

テーラワーダと大乗の運命

大乗仏教が、自分と違った仏教徒たちを「小乗仏教」という蔑称で呼ぶのは、学問的にも正しくありません。自分の教えに「大」を付けるのはかまいませんが、他人の教えに「小」を付けるのは仏教の基本的な考えにも反します。
仏教は「生命は平等だ」とします。他をけなすことを悪いことだとするのです。

しかし、テーラワーダ仏教も、大乗仏教に対して、「お釈迦さまの教えではない」という立場をとります。言い換えれば、「仏教でも何でもない」というようなニュアンスです。互いに汚れているのに、相手に向かって「あなたは汚い」と言えたものではありません。

仏教は、お釈迦さまの教えです。お釈迦さまの教えがなければ、仏教は存在もしないのです。ブッダがすべての生命に、今ここで幸福に達する道を示されたのです。仏教徒たちは皆、仲良く、争うことをやめて、世界に平和と幸福への道を教えたほうがよいのではないかと思います。
それをする上で邪魔になるのは、各宗派のしきたりや習慣です。また、各開祖たちの教えです。

開祖の思考は、本師の思考より優れているわけではないのです。この問題を解決する方法があると思います。テーラワーダ仏教・大乗仏教というのではなく、テーラワーダ文化・大乗文化と命名すればよいのです。

それぞれの文化が違うのは当たり前のことです。西洋文化・東洋文化というのは、違いがあることを示しています。そこには「文化同士で争ってはならない」という意味が入っているのです。
東洋人は西洋文化を理解する、西洋人は東洋文化を理解する。それで皆、仲良くなる。仏教の場合も、それぞれを「文化」にしてみれば、いとも簡単に仲良くなるのです。

テーラワーダ文化も大乗文化も、お釈迦さまの真理の教えが両仏教の心臓だと思えば、仏教はもう一度、世界一の宗教になるはずです。一貫して人類の平和を語る教えなので、一貫して一切の差別を否定する教えなので、すべての人類は仏教の教えにしたがって幸福になると思います。

仏教徒は、何の価値もない神秘やしきたり、どうでもよい習慣などを強調すること、誇示することをいいかげんにやめて、人類の心の闇をなくすために、人類の苦しみをなくすために、努力することが義務だと思います。

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ブッダは真理を語る
テーラワーダ仏教の真理観とその変容 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2015年