施本文庫

ブッダは真理を語る

テーラワーダ仏教の真理観とその変容 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

呼吸のように苦から苦へ移る人生

私は時々、皆さんに「呼吸しているのはなぜでしょうか?」と聞くことがあります。皆さんが「酸素が必要だから」と答えると、「では、呼吸をやめてみてください」と言うのです。

どうして呼吸しているのかが知りたければ、呼吸をやめてみればすぐわかります。息をふーっと吐いてから止めてみれば、激痛が出てくるのです。では、息を吸ってから止めればどうでしょう?やはり、激痛が出てきます。それをどうすればいいのでしょうか。結局は吐いたり、吸ったりするしかないのです。
「吐く苦しみ」から「吸う苦しみ」へ。「吸う苦しみ」から「吐く苦しみ」へ。「苦」から「苦」、「苦」から「苦」へと移るだけです。「吐く苦しみ」は、「吸う苦しみ」でチャラになります。しかし、吸った苦しみをまた吐いて消さなくてはいけないのです。
それは「苦」という借金に対して、また別のところからの「苦」を借金して払っている人生だということなのです。

しかし、人はこのことを理解しません。それをなぜ理解しないのか、ということにお釈迦さまは「()(みょう)」という言葉をお使いになりました。「ありのままに見られない」ということがあるためだとおっしゃったのです。

真理の効き目を自慢したブッダ

お釈迦さまが最初に教えたのは、四つの聖なる真理です。なぜこれが真理かというと、その四つの真理で悩み、苦しみがすべて消えてしまうからです。生きる不安、生きる苦しみ、これを知ってしまえば全部終了、解決です。

その四つの真理に続いて、お釈迦さまはいろいろなことを語られました。嘘には何の効き目もありませんが、真理には効き目があります。
高血圧の人が降圧剤を飲めば血圧が下がるのと同じです。しかし、「あなたは高血圧ですね。では、コーラを飲んでください」と言われて飲んでも下がりません。嘘だと効きません。真理には効き目があります。

お釈迦さまは、いろいろな道徳を教えました。真理を発見したのですから「人間はどう生きるべきか」、わかるのです。「これはしたほうがいい」「これはやらないほうがいい」と、生きるべき項目を挙げます。それにしたがって生きてみれば、目の前に結果が出るのです。
ですから、お釈迦さまは自分が語った教えについて、「svākkāto(スワーッカートー)(正しく完全に語っている) sandiṭṭhiko(サンディッティコー)(現実的に結果が出る)」とおっしゃっています。そう自慢されたのは、おっしゃっていることが真理だからなのです。

お釈迦さまの自慢は度を越して相当なものです。自分が四聖諦を発表するときは、こんな言葉を言うのです。
「私が語るこの真理は、そうではないと逆転することは誰にもできません。たとえバラモン人であろうが、知識人であろうが、神であろうが、梵天であろうが、マーラ(悪魔)であろうが、一切の生命、誰にもこれは逆転することはできません」とおっしゃるのです。

こんな大胆なことを言っていいのでしょうか。世の中は、めまぐるしく変わっていきます。私が今日言うことが、明日嘘になってしまったり、ノーベル賞を取った科学者の考えでも、ちょっと時間が経つと間違いだということになってしまったりもします。こんな勢いで発展し、開発されている世の中で、「私の言葉は誰にも逆転できないぞ」と言って広く人々に教えるとは、どれほど大胆なことでしょう。

そして、その自慢を裏付けるかのように、「お釈迦さまの言葉が事実に合っていない」と言える人はいまだに一人も現れていません。一人も、です。
これに対してキリスト教は、十年ごとにいろいろなものが変わります。どうして、そんなに変わるのかといえば、教えが真理ではないからです。仏教、ブッダの真理は、何も変えることはできませんし、変える必要もありません。

真理は結果を出す

お釈迦さまは生き方を説かれました。それは「戒律」といいます。守ってみれば、目の前で良い結果が出ます。
また、真理を発見するために、修行法を教えました。修行したら、昔はみんな覚りに達してしまいました。
今は効き目がないのでしょうか?いえ、今は我々がいいかげんだから覚りに達しないだけなのです。科学的な方法なので、真面目にやらなければ結果が出ないのです。

お釈迦さまの結果の速さがどれほどのものか、あるバラモン人とのエピソードがあります。お釈迦さまとしゃべっていたバラモン人がびっくりして言いました。「あなたの教えはすごいです。でも、人間にはこんな境地に達することはできないと思います。もし、あなた以外、一人の人でも解脱の境地に達しているならば、私はあなたの話を信じます」と。
お釈迦さまは「一人でじゅうぶんですか? 十人、二十人、いかがですか。五十人、百人でいかがですか。二百人、三百人、五百人でいかがですか。私の弟子である男性比丘たちは五百人でも千人でもいますよ。それから尼さんも千人でも二千人でもいますよ。在家の男性も、女性の方々も、それぞれ千人単位で数えなくてはいけません。それで、あなたに対する証拠はじゅうぶんですか?」と言ったので、バラモン人は降参しました。当時、それほどみんな覚りに達していました。

仏教の広まりの速さは、スリランカの歴史上でもありました。スリランカでは戦争などのトラブルが続いた時代に、ヒンドゥー教の王様になったことも、仏教が排斥(はいせき)されたこともありました。そのとき、比丘がいなくなってしまったのです。(しゃ)()出家はいましたし、仏教自体はありました。もちろん、お寺もありましたし、お寺に本も全部ありましたが、比丘がいないので、戒律通りにやらなくてはいけない布薩戒の儀式などができなくなってしまいました。

そこで、タイから五~六人のお坊さんを呼んで、儀式を行って比丘を認定したのです。もともと、スリランカは、タイやミャンマーなどに仏教を輸出した国ですが、危機のときには逆輸入したわけです。そんなことが歴史の中で二~三回ありました。

その逆輸入のとき、ふたたび比丘が現れると、ものすごい勢いで復活するのです。一年も経たないうちに、さあっと仏教がまた花咲きます。お寺がいきなり復活して活動しはじめ、全国にいきなり、すごい勢いで広がっていきます。これが真理の力です。

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ブッダは真理を語る
テーラワーダ仏教の真理観とその変容 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2015年